#高山日赤100-高山赤十字病院-
子育て支援センターから始まった
高山赤十字病院さんとのご縁について。
ぼくは飛騨でデザインオフィスkongcong(コンコン)で
クリエイティブディレクターをしている千原です。
毎日仕事と育児に追われる40歳。
主に企画やデザイン、ディレクションをしているkongcongですが、
ある日、ある方から相談を受けました。
それは、当時ぼくがよく子供と遊びにいっていた「なつめっこ」
という子育て支援センターの職員さん。
何でも、その職員さんの旦那様が、企画やデザインで困っているらしく、
過去に何気ない会話で僕のお仕事のお話をした事を覚えていてくれたその職員さんが
旦那様にお話をしたところ会いたい!となったそう。
お話を伺いに行ったのは、高山赤十字病院。
飛騨地域の最後の砦とも言われる飛騨地域の中核病院です。
まさかそんなご縁になるとは思っていなかったのですが、
これが飛騨あるある。なのか?
ご依頼いただいたのは、看護職員採用案内に関する制作物でした。
(この時の制作物はコチラから)
このお仕事では、新たな高山赤十字病院の顔が垣間見れ、
医療従事者の方の姿にとても感動し感謝したことを覚えています。
この度、高山赤十字病院が100周年を迎えるという事で様々な企画や制作物の
に関してお声がけいただき今回に至りました。
ぼくも含め、高山赤十字病院には家族全員でお世話になっています。
子どもが入院したときは、看護師さんに優しい言葉をかけてもらったことを
今でも覚えています。
そしてこのコロナ渦。
奮闘する医療従事者の方々を間近で見たぼくらがお手伝いできること。
それは、この地域に住む人達に高山赤十字病院の想いを伝えること。
だと思っています。
院長先生との面談はとても緊張しましたが、
その中で出てきた「地域医療」という言葉にすごく重みを感じました。
(清島病院長先生へのヒアリングの様子)
「地域医療」とは、医療機関が単体で機能するのではなく、
行政や地域住民、地域の資源が、地域の特性や機能の中で一緒に
歩んでいくこと。とぼくは解釈しています。
そう考えると、すごく「じぶんごと」ですよね。
だから「世の中」の為に何が出来るか?よりも
「ぼくらの未来」を豊かにするために、何が出来るのか?
から始める視点(始点)を大事にしたい。
そう思うのです。
そんな想いを秘めつつ
100周年のプロジェクトをご一緒させていただきます。
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高山赤十字病院HP
http://www.takayama.jrc.or.jp
公式Instagram
https://www.instagram.com/takayama_red_cross
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